▼今週発売の新作ダイジェスト
映画「火花」”間”の大切さを思い知る、映画版とドラマ版の違い 文学好き芸人として知られる又吉直樹の「火花」がNetflixに続いて映画化。
芥川賞を受賞し、累計発行部数は380万部を誇る大ベストセラー小説で
メガホンをとったのは、又吉の先輩にあたる板尾創路。
売れない若手芸人と、ポリシーを貫く中堅芸人との10年に渡る絆を描いている。
主演は菅田将暉と桐谷健太。
共演は木村文乃、川谷修士(2丁拳銃)、三浦誠己、加藤諒。
芸人の人生を映画にするのは難しい。
芸人が映画を撮るのも難しい。
ましてや、芸人が芸人を撮るのはもっと難しい。
「漫才ギャング」「ボクたちの交換日記」「笑う招き猫」など
芸人を描いた作品は多数存在するが、
あくまでも私の感想で言えば、これらの中に「アタリ」はない。
何故か。
それは「ボクたちの交換日記」の紹介記事でほぼ全て書き尽くしているので
まずは過去記事より一部抜粋して再掲することにする。
夢を諦めて現実的な生き方にシフトチェンジするか
歯を食いしばってでも夢に喰らいつき続けるか。
目標であったはずの夢がどうしても叶えたいものなのか、
現実逃避の言い訳としてしがみついているだけなのか分からなくなってくる。
後輩に追い抜かれる屈辱、バイト先での肩身の狭さ、裏方へ回れという甘い誘い、
全てが痛々しいほどリアルに描かれてゆく。
物語を紡いだ原作者の鈴木おさむも、メガホンをとったウッチャンも
房総スイマーズのような若手を山と見て来たに違いない。
幸運にも成功を掴んだ二人の想いが、この映画にはたっぷり詰まっている。
そしてそのことが、同時にこの映画を息苦しくもしている。
愛すべき芸人達の頑張りを広く世間に知ってもらいたい原作者と
可愛い後輩達の気持ちを少しでも多く汲み取ろうとした先輩芸人。
微塵の悪意も付け入る隙のないピュアな芸人讃歌は芸人を幸福にするのだろうか。
本作についてキングコングの西野が「くだらない」と発言し
鈴木の妻である大島が激怒したと度々話題になっていたが
西野を好きではない私ですら、彼が「くだらない」と言った気持ちは何となく理解できる。
伊藤・小出のコンビは良く漫才を練習しているし、芝居もきっちりしている。
「ピーナッツ」以来、久々の監督作となった内村の仕事も丁寧。
映画として致命的な欠陥はどこにもない。
ただ一点、「それは観客が知らなくて良いことだった」ことを除いては。
映画「火花」で感じた不満の大半は上記の内容と同じである。
原作者である又吉は、自身を投影した物語を登場人物の誰にも過剰に肩入れせず
静かな筆致で書き上げているのに、先輩芸人である板尾は
又吉が余白に込めた想いを拡大解釈して汲みとり過ぎている。
ドラマ版と映画版は物語の大枠こそ同じだが、観賞後の印象は
天然素材だけで作られた料理と、化学調味料をたっぷり使った料理ほど違う。
Netflixで配信中のドラマ版は又吉の美学に力点を置いた演出が施されているのに対し、
映画版は「ボクたちの交換日記」と同じ芸人寄りの感動作になっている。
ダウンタウンが好き過ぎて号泣しながら手紙を読み上げた菅田将暉が
板尾が監督を務める作品で芸人を演じるのだから
若き天才・菅田であっても感情移入し過ぎたか。
映画版の徳永(菅田)は何よりもまず熱過ぎる。
どこか冷めていて、人付き合いも上手くないドラマ版の徳永(林遣都)に比べると
「見た目もカッコ良い、ええ兄ちゃん」である。
映画版の神谷(桐谷)は逆に普通に良い人過ぎる。
何を始めるか分からない破天荒さと、一部の人だけを強烈に惹き付ける
カリスマ性を持ったドラマ版の神谷(波岡一喜)に比べると
「愛嬌のある兄さん」でしかない。
欠点らしい欠点のない二人が一向に売れないのは何故かとなると
最終的には「運やな、俺ら運がなかったわ」に帰結してしまうわけで
これは明らかに「火花」の伝えたいメッセージではない。
売れる芸人は一握り。
売れる理由が実力だけでないことは事実だが
運を掴めるのもまた才能であり、掴めなかった芸人は
どこかで人生のポイントを切り替えなければならない。
しかし、売れなかったとしてもお笑いに人生を賭けた時間は無駄ではないし
スポットライトを浴びることなく劇場を去った芸人達の
悔しさや涙で、華やかな舞台は出来ている。
だから、みんな無駄ではない。みんな必要だったのだ。
映画版は、終盤まで二人の仲良くつるむ場面を延々と繋げただけで
最後の最後で急ごしらえにテーマを語り始めるが、
それでは到底伝わらないだろう。
板尾はNetflix版でも脚本監修としてクレジットされているので
2時間の尺に苦しんだ部分もあるのだろうが
登場人物の間引き方が上手くないし、物語の運び方も上手くない。
二組の漫才コンビの話なはずなのに、映画版は各々の相方の存在が希薄で
菅田と桐谷の友情物語になってしまっている。
Netflix版の「火花」は、主演の林遣都の
人間的&芸人としての成長が10話の中で丹念に描かれている。
1話約50分の中には、半分ぐらい鍋をつついているだけの回もあるし、
同じアパートで暮らすストリートミュージシャンとの別れのシーンに
たっぷりと時間を割いたりもする。
廣木隆一、白石和彌、沖田修一ら一流の映画監督を交代制で起用し、
都会で頑張ることの心細さや、人の温かみを丁寧にすくいとってゆく。
門脇麦や染谷将太など、脇役にも良い人材が揃っている。
ドラマ版は登場人物を芸人ではなく都会で頑張る若者と捉えているフシがあり、
突き放しもしないが、肩入れもしていない。
この距離感が心地良い。
とにかく売れることしか眼中になく、芸歴2年目でもう焦る始める主人公が
「そりゃお前のせいだろう」と視聴者に映るように出来ている。
映画版とドラマ版の決定的な差はここに在る。
Netflixにはスポンサーが存在しないし、コンセプトさえ理解されれば
あとは一切口出ししないという制作環境が整えられていると聞く。
地上波ではないので一話ごとの尺にもバラつきがあり、
冗長であることが意図的な演出であると制作側が押し切れる強さがある。
この贅沢な”間”の取り方は、視聴率至上主義の民放各局では到底作れまい。
映画版でも、菅田将暉がほんの少し揺らぎを見せる瞬間がある。
しかし、そういった部分はことごとくあっさりと流されてしまう。
「僕のせいなんです、僕がもっと・・・」と話し始めた途端に
板尾が割って入り「もうええ、もうええて。お前は何も悪ない。
頑張ってるもんな。俺はよー知ってるで、知ってるからもう言わんでええんや」と
続く言葉を封じ込めたような、過保護な母親的演出によって
映画版は「ボクたちの交換日記」と同系列の芸人讃歌になってしまった。
それでいて、加藤諒が演じる鹿谷へのあからさまな敵意からは
一発芸を邪道として嫌う意識高い系芸人の選民思想も滲み出て何とも不愉快。
役者には罪はないものの、
制作環境と監督の力量の差によって圧倒的にNetflix版に軍配。
原作未読のまま映画を観て「こんなのが芥川賞穫ったの?」と疑問に感じた方は
是非Netflix版もご覧いただきたい。
映画「火花」は11月23日より公開。
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